鹿月舎が考えるところの著作権について
鹿月舎は以下にあるような信念から、他人の著作の利用はいっさいこれを認めていません。また、鹿月舎内のどの著作においても、これの引用、転用などを認めません。
理由は、他人の創作物は創作者の意思の反映だと考えるからです。
鹿月舎が日本のあるいは世界の著作権法のもとにあることは、これは当然のことなのですが、法律とは別の規定が鹿月舎には存在します。
たとえば瞳の美しい人がいたとします。その人の瞳だけを標本にしてしまうことに鹿月舎は意味を見出しません。瞳は人の中の一部であり、その人があってこその瞳だと鹿月舎は考えるからです。
この考えは、欠点においても同じことになります。人には欠点があります。その欠点だけをもってその人を評価することは危険なことです。
ましてや、他人の瞳を勝手にコレクションしていいはずがありません。
鹿月舎は製作者集団です。自らの創作物が切り取られて勝手にアレンジされ、それを無断で使用されることが、創作者にとって、どれほど屈辱的かつ悲劇的なことであるかを、よく知っている者の集う場所なのです。
そうであれば、他人の著作物に対しても同じ気持ちで接したいものです。
ただし、著作の好意的悪意的紹介や批評のための作品の引用はこのかぎりではありません。これは瞳だけを奪ってコレクションするのではなく、瞳について他人が語ることだからです。もちろん、そこにも多くの危険が潜んでいます。たとえば、暴力的な人のその部分だけをもって危険な人だと言うことには、いくつかの危険性が含まれることになります。
しかし、鹿月舎は、そうした批評に対しては、批評をもってこれに対応すべきと考えています。従って、書評、批評などのための引用は、これを認めています。
著作権法については、法律を各自が検索してください。鹿月舎の著作に対する考えは、法律ではなく、むしろ、マナーとしての考えになります。
これに従えない、と、そうした人は鹿月舎の作品製作に参加することにも、かつ、著作物を購入することも、避けたほうがいいかと思われます。